村井保固──森村ブラザーズを日本一の陶磁器商社へ押し上げた男

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明治時代、日本の若者が単身アメリカへ渡り、ビジネスで成功することは容易ではありませんでした。
その中で、森村豊の右腕として活躍し、森村ブラザーズをニューヨーク日系企業のトップに育て上げた男──村井保固(むらい・やすかた)は、特に際立った存在です。

彼の人生には、豪快で人間味あふれるエピソードが数多く残されています。森村豊の「堅実さ」、村井保固の「人たらしの才能」。この対照的な二人が組んだからこそ、森村ブラザーズは大きく飛躍していきました。

前半も合わせて御覧ください。


森村豊と村井保固:対照的な二人の名コンビ

森村豊は、誰よりも真面目で仕事一筋の人物でした。店をどう良くするかを日々考え、遊びよりもビジネスに情熱を注ぐ――そんな典型的な「堅物の職人気質」。

一方で村井保固は、社交的で明るく、誰とでも付き合える豪快なタイプ。
お酒が好きで、友人たちとの豪快な武勇伝も尽きません。

堅実な森村と、柔らかい村井。
まさに「飴と鞭」の関係とも言える相性の良さで、お店を円滑に回し、大きな成果を出していきます。


豪快エピソード:酔いつぶれて社長の服に……?

村井保固の“豪快伝説”の代表がこれです。

ある夜、森村豊と飲んで帰る途中、村井は泥酔してしまい、なんと森村の服に倒れ込んで汚してしまったのです。普通の上司なら激怒するところですが、翌日謝りに行った村井に対して、森村はこう返したと言います。

「まあまあ、お酒の上のことだから仕方ないよ。
…でもちょっと匂いが気になるから、なんか良い香りのものでも買ってきてくれないか」

森村の懐の深さ、そして二人の信頼関係がよく分かるエピソードです。


小売から卸売へ──森村ブラザーズの大転換を主導

森村ブラザーズの事業構造を大きく変えたのが、実は村井保固です。

それまで主力だった“小売業”から、より大きな市場を相手にできる“卸売業”へと転換。
この判断が、森村ブラザーズをニューヨーク随一の日系企業へ押し上げる起点になりました。英語が全くできないながら天才的なセールストークで営業成績を伸ばしていた村井ですが、一つの品物を売るのに何時間も顧客と接することに効率の悪さを感じ、森村豊に提案したといいます。


「ファンシー・ウェア」大ヒットを牽引

森村豊が生前に完成させた西洋風デザインの食器「ファンシー・チャイナウェア」。
この商品の販売を爆発的に広げたのが村井保固です。

森村豊が生前夢見ていた「白亜の食器」を実現すべく1904年に愛知県則武に「日本陶器合名会社」ができるのですが、実際に理想とする陶磁器が完成し販売にこぎつけるまでに要した時間はおよそ10年。この10年の間、森村組はニューヨークの森村ブラザーズの売上により支えられていたと言われています。現在もコレクターからの人気が根強い、いわゆる「オールド・ノリタケ」が産声をあげるまでの10年は村井を中心とした海外貿易が収入の柱だったのです。


1908年──日系企業中でダントツの規模に

1908年の資料によれば、当時の森村ブラザーズは従業員120名を抱える巨大企業に成長していました。

比較として、三井物産ニューヨーク店は わずか56名

日系企業として圧倒的な規模と売上を誇り、その中心にいたのが村井康方だったのです。

1908年 “Japan in New York”より


“年俸1億円プレーヤー”だった村井保固

「森村100年史」には1909年に森村組の大幅な組織改編を行った際、役員クラスの賞与が記載されている。それによると村井保固の賞与はなんと50000円。当時のお米の値段が10キロで1円56銭、総理大臣の給与が1000円ということで、莫大な金額に相当し、現在の貨幣価値に換算すると1億円に相当すると言われています。

月収がわずか5円の平凡な暮らしを夢見た愛媛の少年が幾多の奇縁に導かれて田舎からアメリカへわたりここまで出世した例は極めて稀です。まさに“アメリカンドリーム”を体現した日本人でした。


コミュニティを牽引した名リーダー

1900年代初頭、村井康方は 日本人社会の言論の一人 と評されました。

新井領一郎、高峰譲吉らと共に、日本クラブの創設など、日本人社会の基盤づくりに深く関わっています。

また、ライバル企業が倒産すると優秀な社員を積極採用し、さらに販路を全国に広げる“経営者としての鋭さ”も持ち合わせていました。


おわりに:明治の若者がアメリカで掴んだ大成功

村井保固の人生は、明治維新後の日本が新しい時代へ進む中で生まれた、“挑戦する若者”の物語そのものです。

堅物の森村豊と、豪快な村井保固。
個性の違う二人が力を合わせたことで、森村ブラザーズはニューヨーク最大級の日系企業へと成長し、日本の陶磁器産業の発展にも大きな影響を与えました。

今なお残る彼らの足跡は、当時の日本人が世界に挑んだ歴史の象徴と言えるでしょう。


参考文献

Japan in New York、「紐育日本人発展史」、「村井保固伝」、「森村百年史」

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