アメリカで知られた日本人実業家・新井領一郎――生糸がつないだ日米の物語
こんにちは。
今回は、私が制作した新井領一郎さんのビデオの中では紹介しきれなかった補足エピソードを、少し掘り下げてご紹介します。聞き手は、ゆめさんです。
アメリカでは知られ、日本では知られていない人物
ゆめさん:
「普通のテレビ番組では聞いたことがない人物で、とても興味深く見ていました。」
実は新井領一郎さん、アメリカではとても有名な人物なんです。
亡くなった際にはニューヨーク・タイムズにも訃報が掲載され、生糸の取引所では黙祷まで捧げられたほど。
それほどの功績を残した方なのに、日本ではほとんど知られていません。
私はニューヨーク在住ということもあり、こうした「埋もれた日本人の物語」を掘り起こすのが面白いと感じて調べ始めました。

参考にした一冊――『Samurai and Silk』
今回のビデオを制作する際に参考にしたのがこの本、『Samurai and Silk(サムライとシルク)』。
もともとは日本語の『絹と侍』というタイトルで、著者はハル・ライシャワーさん。あのアメリカ大使、エドウィン・O・ライシャワーの夫人です。
彼女は新井領一郎さんの孫であり、さらに日本の第3代内閣総理大臣・松方正義の孫でもあります。
つまり、「絹」と「侍」をつなぐ物語は、日米両国の血を受け継いだ家系の中で語られているのです。
農家の六男からアメリカの実業家へ
新井領一郎は、農家の六男として生まれました。
長兄の星野長太郎は地元の有力農家で、後に生糸貿易でも成功し、国会議員にまでなった人物。
しかし領一郎は、その兄とは対照的に、アメリカで生糸貿易を開拓して成功します。
当時、日本の生糸はニューヨークの市場で大きな取引を生み、日本経済の重要な輸出品でした。
彼はその流通を支え、法整備の動きにも影響を与えるなど、まさに草分け的存在でした。
成功の陰にある兄弟の確執
ただし、順風満帆ではありません。
兄との間に深い確執があり、ついに仲直りすることなく兄が亡くなってしまいます。
しかし1935年頃、兄の孫(領一郎の甥の子世代)が訪ねてきたことでようやく和解。
それからほどなくして、領一郎自身も1939年に亡くなりました。
晩年にようやく心のわだかまりが解けた――まるでドラマのような実話です。

アメリカで築いた家族と“最初の日本人の子ども”
領一郎は、「山陽鉄道の生みの親」と言われる牛場卓蔵の娘・田鶴と結婚しました。
ニューヨークで子どもが生まれ、その子が「アメリカ東海岸で最初に日本人の両親のもとに生まれた子ども」とも言われています。
当時のニューヨークにはビジネスマンの男性ばかりで、日本人女性はほとんどいませんでした。
領一郎の妻は言葉も通じず、文化も違う異国の地で苦労を重ねながら、いけばなを教えるなど地域に溶け込んでいきます。
日系社会の礎を築いた女性たち
第一次世界大戦後、ニューヨークの日系コミュニティは急速に拡大します。
その中心にいたのが、領一郎の妻のような女性たち。
彼女は日系人婦人会の創設メンバーの一人とも言われており、日米交流の草の根を支えました。
おわりに
こうして見ていくと、新井領一郎という人物は単なる実業家ではなく、
日米を結ぶ「絹の架け橋」を築いた先駆者であったことがわかります。
彼の物語は、国境を越えて努力した人々の象徴でもあります。
これからも、アメリカで活躍した日本人たちの知られざる物語を紹介していきます。
次回もどうぞお楽しみに。
関連リンク
- 🎥 YouTube 新井領一郎、日本とアメリカに築いた「血族」
- 📚 参考書籍:ハル・ライシャワー著『絹と侍(Samurai and Silk)』

